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2024年4月21日日曜日

記事

お金を余らせて、使わなかった人生を後悔するか?

人間の欲って際限ないよなぁ、と思うのが、
題名の問いで、
「お金を余らせて使わずに人生を全うする」
ことが何か、「損」だと思う人が多いことかな。

むしろ、
有り金すべて使い果たして人生を終えることが
幸せというか、健全なのか、と思うことがある。

お金は墓場まで持っていけないから、と言うが、
お金って、そこまで使い果たさないといけないものかと。

たぶん、俺はお金を余らせて人生を全うする気がする。

億まで資産が膨らむような株式投資を当初は想定していなかった。
もちろん、夢があったから、冗談半分で億ってやる、
と思ってはいたが、それが現実になるとは思わなかった。
そして、超までついてしまった。
ここまで資産が膨らむとは思わなかった、というのも正直ある。
GAFAMさまさま、なんだが。

時々思うのは、羽目外して、
お金で人生狂わないだろうか、
というのが今の心配事なんだよ。
とてもじゃないが、
墓場までお金の心配をしたくないから、
お金は墓場に入れなくてよい。

冗談さておき、俺は成金なんだよ。
30年近くかけて、
ゆっくりお金持ちになったんだが、
それでも世間では「成金」扱いだろう。
本当は「となりの億万長者」と呼ばれたいんだが。

億ってから、どうかな10年も経過していない気がする。
いまだに、億の資産をどうすべきか、
わからんからガチホしている。
そして、その配当で暮らしている。
それしか知らんし、それしかできない。
たぶん、今後もそうする。
遺産相続は勝手にどうぞ、って感じだな。
ただ、俺が生きている間はガチホする。

ガチホで後悔はない、そうやってきたんだから。
だから、ロナルド・リード氏に親近感を感じるだな、俺は。
投資には人生の意義を感じるが、
物欲にはあまりそれを感じない。若いころは感じていたが。失せた。

若いころに今のようなお金があったら、
たぶん、浪費して、今では手元にも残っていないだろうな。

そんだけのお金があるなら、もっと楽しめばよいのに、
と思われるかもしれないが、いったん始めた贅沢は限度が無くなるもの。
止めることができなくなる。
株式の暴落と同じで、贅沢すればあっという間に底につく。

お金が無ければ無いで不安かもしれないが、
あればあったで、そのお金の使い方次第で更なる不安を生む。
お金は魔物でもあるんよ。

収入に見合った生活レベルを維持することが一番の幸せ。
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2024年4月10日水曜日

記事

となりの億万長者は冴えない会社員。

書籍「となりの億万長者」で言う億万長者は、
ほとんどが自営業の方と読み取れた。
なかには公務員とか勤め人の記載もある。

俺が「となりの億万長者」を読んで思ったことは、
見栄を張らない、
肩書き・職業に左右されない、
浪費しない、
自分は自分、他人は他人、
年収と資産は別物、
自分を良く知る

位かな、少なくとも、
株式投資のことをこの本から学ぶことはない。
そもそも、株式投資の本ではないし。

俺は勤め人としては大成しないこと、
を自分で理解していたので、
後はどうやって、
勤め人以外で億万長者を目指すかを考えてみた。
自営業なんか始めたら、
勤め人より悲惨になることはわかっていたので、
自営業はなし。

冴えない勤め人をしている間に、
食いパクれのない人生を過ごすことを考えないといけん。
もう、その時点で、株式投資には手を出していたが、
芳しくなかったことは事実。

それでも、その位しかない。
そこで、思ったのが、長期投資のガチホ。
投資資金少なければ、投資期間で稼ぐしかない。
ガチホに才能は必要ない。保有していればいいんだし。
冴えない勤め人をしている間は、投資期間に回せる。

日本株よりも米株だよな、
何せガチホするんだから。
圧倒的なブランド力、株主重視の経営、
配当貴族など、いろいろメリットの方が多いし。

仕方がない「冴えない勤め人」で長期投資しよう。
自分は自分、他人は他人だし。

そうやって20年以上経過したら、
「となりの億万長者」になれたけど、
同僚や上司は、そんなことは微塵も思っていない。
相変わらず、冴えない会社員扱い、だったな。
生活スタイルを変えなかったので、
そう見られていたんだろう。

転職も数回しているので、
勤め先の会社に、
昭和のような忠誠心は微塵もない。

冴えない投資続けたおかげで、となりの億万長者。
意外と、あなたの職場に居るかもよ。

高給じゃなきゃ、お金持ちになれない、と思う発想している時点で勘違いしてる。
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2024年3月23日土曜日

記事

「経済的ゆとり」あるほうが逆に不安になるなぁ、俺なら。

「6割程度の人が経済的ゆとりがない」との報道。
「ゆとり」と聞くと、
「ゆとり教育」とか「ゆとり世代」を思い出すけど、
経済的ゆとりあったら、あったで、
さらにお金使った生活するから、
結局、ゆとり無くなるじゃぁ、ないの。

俺が投資をしている間、今でもそうだけど、
収入(給与、配当)以上の支出をしないようにしているから、
ゆとりが無いとかの実感はなかったなぁ。

超裕福層かもしれんが、
年間配当額内で生活しているから、
まぁ、世間で思うようなハイソな生活じゃない、
ことは確か。

働いていたころ、給与が少なくて生活が賄えないなら、
それはそれで何か考えないといけんと、
自分で思っていたから、
勤務先の会社が悪いとか、国・政府が悪いとかは、
なるべく思わないようにしていた。
勤務先を選んだのは俺なんだしね。
仕事頑張っているのに、報われないとか、
嘆いても報われないことに変わりはないし。
給与額は職場の人間関係で決まる、と思えば、
そりゃぁ、そうだよなぁ、って思っていたし。

副業するか、高給目指して勤務先を変えるしかないでしょう。
俺の場合は、株式投資だったんだけどね。

株式投資で財産築いたときに思ったことは、
この財産のゆとりがあるおかげで、
「羽目外して人生狂わないか?」の不安が大きかった。
その、「宝くじ一等当選して、人生転落」ってよく聞くから。

だから、逆に「経済的ゆとり」あるほうが怖いと思っている。

上手く説明できないんだが、俺の資産は株式な訳で、
この株式って言うのは、結構暴落ということをやらかすので、
不安と言えば、不安なんだよ。安定しない。
それでも、資産は株式保有がベストと思っているから、
自分でも訳わからんのだが。

もう、その不安だけで、腹いっぱいで、
「経済的ゆとり」が有るとか無いとか、
どうのこうのとか思わない。

「ゆとり」あったらあったで、その「ゆとり」を食いつぶすだけで、温存しない気がする。
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2023年8月26日土曜日

記事

資産が幾らあっても、株式投資での「悠々自適」はないな。「となりの億万長者」を目指しているんで。

俺もマス層だったころは、
資産○億円で年間配当○○○○万円と聞けば、
「悠々自適」のイメージが沸いたものだけど、
いざ、超裕福層に達している今、
生活が「悠々自適」かと言えば、ちょっと違うかなと。
人生の余裕が生まれたのは事実だけど、「悠々自適」かと言われれば...

少なくとも、俺は資産運用(株式投資)で「悠々自適」はない。
株式投資で自分の思い通りになることはほぼ絶対にない。
なんで、株式投資で「のんびりと心静かに、思うまま過ごすこと」はない。
株式相場状況によっては、
生活ランクを下げざる負えないことさえあるんだから、
生活ランクを上げることには抵抗がある。

むしろ、保有株式の評価資産額が増えれば増えるほど、
暴落したときの減少額は「でかい」。

大変、表現は悪いんだけど、
マス層が転落してもマス層。
超裕福層が転落すると、
裕福層、準裕福層、アッパーマス層、マス層まで転げ落ちるんよ。
一度手にした「悠々自適」を維持することは、大変だと思っている。
俺は、これを肝に銘じている。

金額でいえば、わかりやすいかもしれない。
リーマン・ショック並みの暴落が来たら、
評価資産額1、000万円が半値まで暴落すると、500万円。
評価資産額7億円が半値まで暴落すると、3.5億円。
保有株式長者ほど、暴落の損がデカい。当然だけどいつも忘れる。

数年たてば、株式市場は回復するから、と言われても、
一度手に入れた「悠々自適」を捨てきれるんか?
どうかにかかっている。

急いでお金持ちになりたい人ほど、
株式投資で一発逆転を狙おうとするんで、
保有株式を担保にレバレッジ関連に手を出したりもの。
これ、お金持ちの人でも、急いでお金(含み益でも)を失えば、
同じことをやろうとする、と思わない?

株式投資で、資産を維持するのは大変だし、増やすのはもっと大変。
その見返りに、多額の含み益と配当があるんだけの話。

毎年、資産○○億円の年間配当○○万円の状況が約束されている訳ではない、
と俺は肝に銘じているので、「悠々自適」との感覚は沸かない、んだな。

まぁ、それだけ、株式相場が有頂天になっている証かも。

他人から見れば、金あるんだから、もっと贅沢すればよいのにと思われるのが、となりの億万長者。
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2023年3月7日火曜日

記事

低年収の金持ち。

高年収だが、貯蓄は1000万円以下って話は、よく聞く話。
高年収なんだから、資産もそれなりにあるはずと世間は勘繰る、
の逆を突くから読まれやすい記事となる。

高年収相応の暮らしをしていたら、いつまでも資産は貯まらない。
というのが、落ち。

これ、逆の話はあまり話題にならない。
低年収だが、資産は億り人。
低年収なんだが、生活のやりくりで何とか資産に回すお金を作って、
資産を運用できたから、なせること。

資産から生まれる利益もあるのだが、含み益にして温存しているので、
年収は劇的に増えない。
配当があるじゃないかと言われそうだが、高配当投資でもない限り、
指数ETFの利回り1.5%程度が目安。1億円で手取り100万円程度だから。

年収400万円にプラス100万円で500万円としたら、
今じゃ中央値よりちょっと上ぐらいの年収かな。

俺が思い描いている日本のサラリーマンの
「となりの億万長者」はこんなイメージ。

俺が仮に、年収1千万円稼いでいて、手取り700万円だとしたら、
年間400万円で生活して、年間300万円を貯金する。
それを33年間やれば、9,900万円で約一億円。
株式投資みたいなリスクを取らなくても、十分いける。億り人。

でも、絵にかいた餅だな。
年収1千万円稼いでいたら、おそらく年間400万円で
生活できない気がする。俺は「こんなに稼いでいる」という
思い上がりに負けるだろうし、
会社勤務の社内・外競争やらでストレス発散しないと
やっていけない気もする。
つまるところ、労働はコスパが悪過ぎ、と感じるようになった。
税率も所得に応じて累進だし。

株式投資やって20年過ぎた位から、資産の増え方に勢いがついて、
段々と、投資の増え方の効率に労働意欲が萎えてきた。
会社という狭い組織のなかで、何を争っているんだと。
誰かと張り合おうとしなければ、別に見栄を張る必要性は
全くなくなった。

低年収の金持ちと言えば、バフェット氏だよな。
ググると、2018年で給料10万ドル(約1147万円)、
純資産840億ドルとあります。
資産額に比べると、圧倒的低年収じゃん。

俺はフローより、ストックを選ぶな。
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2022年8月3日水曜日

記事

資産が出来たことで有難いのは 「お金に困らず」に済む安心感。

正直ね、もう金銭感覚麻痺しているんよ。
生活は質素なのに、日々の資産変動額が
その生活スタイルに全くそぐわない感じで。

普段の生活では、数十円とか数百円の損得で
買い物している反面、月間の株価変動で、
数千万円単位の評価損食らっているんだから。
今のところ、最高で1億円ほどの評価損だったけど。

30年前に、ここまで資産伸びると思わなかった。
贅沢な悩みと言えば、贅沢なんだが、
かと言って散財、浪費する気にはなれない。

なぜかって?

世間一般に認知されている
高級品や高級車保有しても、
幸せな気分になれない。

逆に、汚れとか傷とか、
気になって落ち着かないから、
要らない。維持費も面倒だし。

食事も自分で「おいしい」と
思うもの食えたら、それで幸せ。

高級レストランで食っても、
かしこまり過ぎて、緊張し過ぎて、
俺には無理だな。
ナイフとフォークのマナーも知らんし。
ワイン聞かれても、知らんがな。

唯一、資産が出来たことで有難いのは
「お金に困らず」に済む安心感だな。
これが一番大きい。

本当は時間かけてゆっくりと
世界旅行してみたかったんだが、
コロナ禍で、お預け食らった。
まぁ、上手く行かなくても、
それも運命と受け入れないとな。

「ゆっくりとお金持ち」になるって言うのは、
何度も言うけど、
お金持ちになるための「試練の期間」みたいなもん。

いきなり、宝くじとかでさ、一億円手に入れたらさ、
かつて欲しかったものをすぐに手に入れよう、
と思うでしょう。

しかしね、30年かけて、1億円越えの資産築くとさ、
もう欲しくならないのよ。不思議なもので。
30年間、我慢して築いたものだから粗末に扱えない。
その資産から生まれる利益(配当とか)も相当なもの。

加えて、我慢しなくて済む、というメリットも大きいな。

金ないって言っている奴ほど、車とか住宅が立派なのは、どうしてか?、といつも思う。
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2022年5月4日水曜日

記事

長期投資ガチホで資産築いても、お金に呑まれるのが怖いんだよね。

庶民が、いきなり億の資産をあったら、
どうしてよいか、わからないもの。
分かりやすいのは、宝くじ高額当選者の末路だよね。

資産を潰さないには、
使わないのが一番だが、
使わなきゃ、
資産持っている意味ないしってなる。

1億円でも、消費でそう簡単に、
無くなるわけじゃないけど、
千万円単位の買い物(不動産とか住宅かな?)したら、
あっという間に無くなる。
次の消費が続かなくなる、
浪費だったよねとなる。

あと、高額になると、自動車でも不動産でも
いろいろ維持費、税金がかかってくる。

資産をうまく運用して、
資産から生まれる利益で暮らせるのが、
俺の目標。

資産減らしながら老後を過ごすのが嫌なので、
資産を残すことになるけど、仕方がない。

資産額が大きくなると、それはそれで、
不安、悩みが減る訳じゃない、ことは悟った。

俺が投資本ではなく、
「となりの億万長者」を好むのは、
資産を浪費しない、呑まれないって何?
の情報に飢えている、っていうのもある。

株式投資で数年そこらで、億の資産築いていたら、
多分、今頃、お金に苦労していたんじゃないかと想像する。

株式投資で成功するっていうのは、
20-30年以上かけて、
ゆっくりとお金持ちになる訓練
をすること、
じゃないかと思っている。

会社勤め辞めたくて、投資しているのに、
途中から、いつでも辞められるから、
辞めなくてもいいや、に変わるんだよね。
不思議なもんだよ。

数年でお金持ちになった日には、
絶対、人生しくじるだろうな、
と思ってる。

さてと、となりの億万長者を読み返すとするか。
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2022年3月10日木曜日

記事

生活スタイルはマス層以下、資産は裕福層以上。これ、居心地良すぎ。

マス層だった人が、超裕福層になれば、
生活スタイルが異なるイメージを持つ。
皮肉って言えば、成金長者って感じ。
1億円宝くじ当選者の末路みたいに。

何せ、ネット界隈では裕福層の記事で溢れている。

「金持ちは○○を習慣にする」
「金持ちは○○をしない」
「裕福層が心がけている事」

本当か、これって?記事ばかり。

「となりの億万長者」を読むと、
普通の人が実は金持ちだったりする訳。
「金持ちも庶民も変わらない」
と言える。



高級車や高級住宅に囲まれている人が、
実は借金、ローンで買ったもので、
労働収入でそれらを日々支払っている。
資本収入じゃないところがミソ。
もしくは、親のすねかじりの
ドラ息子・娘だったりと語っている。
全部が全部そうじゃないだろうけど。

高級車をプレゼントされた人が、
その車では釣りに行けない、
とプレゼントを断るエピソードは
俺の好み。

金持ちの身なりをしたら、
怪しい連中が寄ってくるのも煩わしい。

裕福層になったからと言って、
生活スタイルを変える必要はない。

そもそも、生活が苦しくて、
なけなしの金で株式投資を始めて、
その投資が上手くいって、
生活スタイルをリッチにさせて、
再度、「生活が苦しい」、
とはなりたくない。

余裕を持った人生を送りたい。
それだけで十分なんだよな。

自分でコントロールできない、
人生の不幸に出会っても、
資産あれば何とか、なるでしょう。
その楽観的さに憧れる。

それを維持するのに、
生活はマス層、資産は裕福層を貫く。

庶民の生活のほうが、気張らなくて、見栄張らずに済むんで、気楽で良いんだけど。
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2021年4月12日月曜日

記事

生活費はマス層、資産は裕福層、これが「となりの億万長者」

何度も本ブログで話題にしているけど、
ガソリンスタンド店員のロナルド・リード氏。
高給でない人でも株式投資することで8億円近くの資産を築いた人。
かといって、暮らしぶりは凄く質素。
数ドルの駐車料金すら躊躇し、遠く不便な無料駐車場を利用していたらしい。

これって、書籍「となりの億万長者」そのものじゃん。
毎年読み返しているけど、結局のところ、
「生活費はマス層、資産額は裕福層」が
一番居心地が良いんじゃないかな、って思い始めた。

資産を使わずにいるなんて、
馬鹿馬鹿しいって思う人いるけど
贅沢な生活スタイルを目指したところで、
更に上を求め始めるから、きりがない。
どでかい高級SUVを乗り回していた人が、
軽ワゴンに乗り替えられる人って、
どの位いるんだろうかと思う。
結局、生活スタイルを下げるっていうのは、
思っている以上に「つらい」ことだろうな。

裕福層でも贅沢な生活するために働かざる負えない人なら、
資産1億円でも足りんだろう。

質素な生活ぶりでも働かずに済む(リストラ、病気など)手段を
備えているほうが、よほど心強い。

自分の時間を自分で管理できるのは、凄く幸せなことだと思うけど、
幼稚園から定年まで、
「あーせ、こーせ」と誰かから指示されるように、集団教育されているから、
いざ自分の時間があると、処遇に困ってしまうのだけは避けたい。

部屋たくさんあっても、結局使わないし、掃除大変だし、良いことないから、結局、質素な生活が疲れないんだわ。
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