「6割程度の人が経済的ゆとりがない」との報道。
「ゆとり」と聞くと、
「ゆとり教育」とか「ゆとり世代」を思い出すけど、
経済的ゆとりあったら、あったで、
さらにお金使った生活するから、
結局、ゆとり無くなるじゃぁ、ないの。
俺が投資をしている間、今でもそうだけど、
収入(給与、配当)以上の支出をしないようにしているから、
ゆとりが無いとかの実感はなかったなぁ。
超裕福層かもしれんが、
年間配当額内で生活しているから、
まぁ、世間で思うようなハイソな生活じゃない、
ことは確か。
働いていたころ、給与が少なくて生活が賄えないなら、
それはそれで何か考えないといけんと、
自分で思っていたから、
勤務先の会社が悪いとか、国・政府が悪いとかは、
なるべく思わないようにしていた。
勤務先を選んだのは俺なんだしね。
仕事頑張っているのに、報われないとか、
嘆いても報われないことに変わりはないし。
給与額は職場の人間関係で決まる、と思えば、
そりゃぁ、そうだよなぁ、って思っていたし。
副業するか、高給目指して勤務先を変えるしかないでしょう。
俺の場合は、株式投資だったんだけどね。
株式投資で財産築いたときに思ったことは、
この財産のゆとりがあるおかげで、
「羽目外して人生狂わないか?」の不安が大きかった。
その、「宝くじ一等当選して、人生転落」ってよく聞くから。
だから、逆に「経済的ゆとり」あるほうが怖いと思っている。
上手く説明できないんだが、俺の資産は株式な訳で、
この株式って言うのは、結構暴落ということをやらかすので、
不安と言えば、不安なんだよ。安定しない。
それでも、資産は株式保有がベストと思っているから、
自分でも訳わからんのだが。
もう、その不安だけで、腹いっぱいで、
「経済的ゆとり」が有るとか無いとか、
どうのこうのとか思わない。
「ゆとり」あったらあったで、その「ゆとり」を食いつぶすだけで、温存しない気がする。
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