配当で生活できなかった理由は散々述べた通り。
世間じゃ、一億円と聞けば、
別世界に感じる額なんだし、
生涯収入の半分以上、十分、
裕福じゃんと思えるかもしれない。
でも、俺はその額で、裕福な生活が送れるほどの、
資産運用ができなかった。才能が無いんだろう。
裕福層の階層定義は金融資産の一億円以上なので、
定義上は裕福扱いなんだが、こんなもん、
住む場所でどうにでもなるもの。
東京都のど真ん中とか、軽井沢、ニセコとかなら、
一億円あっても裕福じゃない。
不動産購入して、すぐ金欠になる。
俺が思う「裕福」というのは、
保有している金融資産で安定した生活ができる、
レベルになって初めて裕福というか、
ゆとりが生まれるもの、だと思う。
5千万円の金融資産でも、
高度な資産運用ができる才能があって、
安定した年間収入が確保できるなら、
裕福扱いしても良いと、俺は思っている。
ただ、俺自身は5千万円でも一億円でも、
その資産額の資産運用だけで生活は不可能と悟ったので、
当時はリタイアを先送りした。
一億円もあったら、後の余生、
資産取り崩せば良いだけなのに、
という反論があることも分かっている。
でも、俺的にはまだ、
資産取り崩すという発想は受け入れられない。
取り崩す生活をしてこなかったし、
そのような生活がどういうものかもわからんし。
給与と配当の生活をしてきて、
今は配当だけの生活をしている。
それしか知らないし、それで満足しているし、
敢えて、取り崩す生活を今選ぶ必要もないし。
俺的にシンプルに言うと、
持っている資産を減らさずに生活できる人、
が裕福なんだ、と思っている。
さらに裕福な人は、
資産を増やしながら生活している人。
だから、マス層に居る人でも、資産が増えているなら、
隠れ裕福層だと思うよ。タイトルとは矛盾しているけどな。
資産が増えてゆく分を浪費しないでいるんだからね。それ過程自体が裕福への道のりでしょう。
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