2022年8月13日土曜日

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億り人に、なぜなれたかは自分でもよくわかっていないが、自分の価値観でそうなったのかも。

百万円の資産になったら、次は2百万円。
2百万円になったら、次は5百万円。
次は1千万円と、やっていたら、
30年経過して、超裕福層にたどり着いた。

そりゃぁ、途中2千万円あったのが、
1.5千万円に下落するように、
万事、登り調子で、あったわけではない。

だから、○○年目までに○○万円とかの計画は立てずに、
○○万円達成したら、次は○○万円になるまで
再度投資を続けていこう、って感じ。

相場に合わせて、その場その場で目標を変更する感じ。

無理に、目標額を決めて、それにしがみ付こうとすると
信用買い、レバ、逆レバ、FXとかに走ってしまうんで、
相場に合わせながら現物投資で出来る範囲でやっていこうと。

投資資金も、労働から回したお金は1千万円程度。
投資も15年位過ぎると、投資資金は配当から賄っていた。

1.GAFAM銘柄を手放さなかったこと
 ただし、GAFAM銘柄のみを手放さなかったわけではなく、
 保有銘柄全てを手放さなかったのが本当のところ
2.配当は新規銘柄、保有銘柄の追加投資に。
 投資から得た利益は、再度投資に回した。
 複利と似た効果を得るには、配当再投資が必要だからね。

2.については、「お金はお金に稼いでもらう」
仕組みを何となく、理解してやっていたんだろうなと、
今となっては思っている。

資産が膨れるにつれて、会社人生の見つめ直しがあったもの事実。
会社の過度の期待に沿うような働き方は自ら放棄し始めた。
労働法なんて、正直、どこの企業も守っていないと思ったし。
3社務めた経験から。
給与も、人間関係によって決まるものだと、割り切ったし。。。
顧客の為というより、上司のために働いているようなもんだからね。
会社に自分の居場所を求めないようにした、だな。

暇だから、社会から疎外されるから、
働いて社会貢献、と言われてもきれいごと過ぎる。
働いていても、疎外感は感じる、
逆に、孤独感じないように「働く忙しさ」で
紛らわしているんじゃないか?
って思った。
人生、暇でもいいじゃない、と割り切った。

親戚の人間関係も、煩わしいのはすっぱり切った。
勧誘関係は、本当にうざい。

ってな感じで、やっていたら、給与は減り続けたけど、
今、お金の心配はしなくても良くなった。

勝ち組とも、思わないし、
金持っているから偉いとか、贅沢できるとか、
見え張るとかもしない。

だから、何も変わらないよ、超裕福層でも。
となりの億万長者がいるだけ。

人に価値観を強制するんじゃなく、こういう価値観もあるって認め合うのが理想なんだけどな。
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