2019年8月13日火曜日

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不合理な労働環境を嘆くか、公平な投資環境を歓迎すべきか

『働くことは生きがい』
『働くことでお客から感謝される』
『働くことで社会に貢献できる』

労働を賛美する表現はよく聞くが、投資を賛美する表現はほとんど聞かない。

『投資は美徳』
『投資は世の中で尊いこと』
『投資は社会の器』
こんなこと言ったら石が飛んできそう。
投資することが卑屈に思われるのは、なぜかと思う。

大企業にいればわかると思うが、
肩書が高くなれば高いほど、
職場の備品もいいものが与えられ、
現場に出ることもなくなる。

肩書が高くなればなるほど、不祥事には、
『私は知らなかった』
『私に情報が上がってこなかった』
だからね。
『知っておくべきでした』
という社長会見をいまだに聞いたことがない。

まぁ、話はそれたが、企業の規模がデカければでかいほど、社内の階層を昇ってゆく。
そこに、お客に奉仕するなんてのはない、本音では。

投資には、その昇っていく階層がないんだよね。
あるのは株式数の多い少ないだけ。
100株と1万株で違うのは、議決権の数と、配当額。
だからすごく公平な制度。
できれば公平な制度のなかで暮らしたい。

労働生活より配当生活のほうが精神的には楽だと思っている。

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