株式投資が副業であれ、主業であれ、投資利益、配当を生活費に充てれば、
投資生活と言われるよな。
投資利益を望まず、配当を当てに生活するのであれば、配当生活。年金なら年金生活か。
『投資生活』とほとんど聞かないけど、配当生活はよく聞く。
dividend lifeの英語常套句があるかはしらないけど。
配当生活に落ち着くと、気になるのは減配か無配のリスクだけ。
日々の株価の変動は、建前上は気にならないはず。強がりもあるけど。
増配と株価上昇は、素直に嬉しい。
配当生活がどれだけ安定しているものかは、わからない。
配当は会社から支払われる、公的年金は国から支払われる、
企業年金は....
一般に会社の信用度は国に劣るのか知れないが、
アップル、マイクロソフト、エクソン・モービルを信じるか、日本を信じるかの違い。
『配当生活』の響きと、『投資生活』の響きのどっちがいいのだろうか?
配当生活は、株式投資よりはのんびりしているイメージ。
株価が上昇して、相対的に低配当銘柄になれば、高中配当銘柄に移行すれば、
配当額の増額を、自力で達成することはできる。うまくいけばだが。
跡は黙って、配当貴族銘柄に託せば配当年金は増額する。為替は別として。
年金生活は、国の政策により減額されるのが落ちだろう。
増額を見込むことは現実的ではないだろうなぁ。
本当は配当生活と言いつつも、株式投資で生活の糧を稼いでいるのと変わらない。
しかし、配当生活というと、投資生活の最終ゴールにたどり着いたイメージ。
配当と年金の違いで、個人的に一番の違いは下記にあると感じている。
国から年金を頂こうと思えば、十数年程度は支払い続けないといけない。
米企業の配当金は、株式購入後、四半期配当なら、最長でも3か月後に配当金が貰える。
配当年金を作ろうと思えば今日からでもできるし、その配当の入手は数十年先ではない。
結局、年金資金を運用するGPIFが株式運用している時点で、
私たちの年金も株式市場に影響されるていることは事実。
言い換えると、もう年金を国債で賄える時代はとうに過ぎており、
株式市場が年金を支えている面がありゃしないか?
そのような観点でみれば、年金生活≒配当生活≒投資生活のようなもので、
勤労で稼げなくなったら、投資に生活を委ねているようなもの。
だったら、自分でリスクをとる方がいい。
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