2023年8月19日土曜日

記事

一億円資産目減りしても、配当は変わらずで、生活が破綻するわけではないし。

評価資産目減りしても、配当額(ドル建て)は変わらず、
だから、配当生活に何ら支障はなし。
むしろ、増配基調なので、
ドル建てでみれば毎年増えている。
まれに減配食らう保有銘柄あるけども、
それでも原則増配基調に変わりはない。

なんで、含み益が減ろうが増えようが、
実際の年間に入ってくる種銭は変わらず。
そう考えると、一時の含み益の減少ぐらいは?
と、思うようにしている。

あと、もうこの膨れ上がった「含み益」を
どう対処したらよいのか、わけわからん、というのもある。

よく聞かされる、お金を墓場に持っていけないんだから、
お金に固守するのも人生の無駄的な発想
(Die with zeroみたいな)良く散見する。
俺からしたら、お金欲しさやら不安やらで働いたお金じゃなくて、
株式投資で増えたお金、どんだけ増えたかはガチホで相場に任せただけ。
別に無理して余計に労働して時間を犠牲にしたわけじゃない。

なんで、人生の後悔でよく聞く
「こんなに働かなければ良かった」は俺には該当しない。
むしろ、自己犠牲までして働かなかったし。

ただ、今、切羽詰まったお金の苦労はないし、
将来のお金の不安もなさそうに見える。
これが経済的自由なんだろう、とも思っている。

経済的自由を得るにも、税金、社会保険費用、年金などを
熟知しておく必要がある。
いくらお金があっても、浪費して、後から税金、社会保険払えません、
では経済的自由はやってこんからね。

ってなことを考えながら、
資産目減りの出来事を忘れるように、
ほかのことに頭を巡らす。

資産額の多い少ないよりも、庶民感覚を忘れずにいたい。
にほんブログ村 株ブログ 米国株へ

0 件のコメント: