2021年10月31日日曜日

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東証外国部が入り口だったね、米国株投資デビューは。ガチホしているよ、今でも。

昭和の時代は、ただ預金していればお金が増えた。
利子が5%以上つく時代だったし、
銀行も預金してくれ、
と顧客(一般顧客)に頼みに来ていた。
銀行員は当時、預金額のノルマもあった時代。

だから、
お金を増やす方法なんか
考えなくても良かった

預金(貯金)するだけで良かったんだし、
元本割れしないって思っていたし。

ただし、モノの値段も上昇していた(インフレ)ので、
実質のお金の価値が上昇した訳じゃなかったんだけど。

当時は、給与の上昇よりも不動産の上昇ピッチが速かったので、
「夢のマイホーム」を諦めていた時代でもあった。

当時、バブルが破綻したおかげで、
住宅価格は随分と買いやすい価格まで落ちたから、
悪いことばかりじゃなかったんだよね。
バブル破綻ってさ。

で、本題に戻すと、バブルが弾けた後、
定期預金の金利がみるみるうちに下落していくんだな。
住宅ローンの金利も下落するけどさ。

そして、とうとう、1%割れまでくると、
72の法則なんか、役にも立たない位の金利になった。
複利といえども、0.01%の金利なら、意味ねーよ。
当時、リスクなんて言葉、なかったからな。
自己責任と言う言葉も、なかったよ。

今まで金を増やす方法なん預金位しか知らないの
他に増やす方法あるのかって、特に金融商品で。

そもそも、金融知識もないんだから、
昭和の多くの人は、なす術ないわな。

日本の金利が低いんでしょう、
高い金利の金融商品あるよ。

外貨預金(とくに、ブラジルとかアルゼンチンとか)

金利が高いのには訳がある位、
今の人は知っているかもしれんけど、
当時は高金利だけで、飛びついた人多いと思う。

当時の俺、これらを眺めながら、
米国株買えたらなーって思っていた。
一応あるじゃん、東証外国部、
出来高少なくて、約定なかなかしないけど。

だけど、美味しい面もあったんだ。
今で言えば、スプレッドってやつ。
米国現地の株価と、
かけ離れた株価が
まれに東京市場で
円表示されて放置されていた。

出来高少ないし、
モノ好きな人しか買わないから、
投げ売りされやすい特徴があった。

現地のIBM株価の9.5割掛けだったり。
同じことは、
大阪市場のカントリーファンド銘柄でもあった。
今でもガチホしている。

こんなことは、もうないだろうなと思っている。
面白かったな。

東証外国部がなかったら、
今の俺、こんなに資産持っていないわ。

会社四季報の東証外国部を読んでいたな、立ち読みで。立ち読みで読めるページ数しかないんでね。
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