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2020年11月2日月曜日

記事

資本収入が得られるのは、労働してくれている人たちのお陰でもある。

株式投資で資本収入が得られて、配当生活が送れても「勝ち組じゃない」。
いつ、転落するかのリスクは常に抱えている。
体を壊したら、労働収入の道は絶たれる。
投資に失敗したら、資本収入の道は絶たれる。
どっちが優れているとか、ではない。

長生きになっても、労働寿命はそれ以上に伸びてくれない情勢である。
公的年金は国が運用するから自分で制御できない。
預金は銀行が貸付先を決めてしまう。
自分で管理を望むなら、自分で資産を作り、それを投資に回さないといけない。

アリババのジャック・マーの名言には、
「100万円を持っていたら、それはあなたのお金」
「1000万円を持っていたら、それは厄介事を招く」
10億円をもっていたら、それは周りからの信頼そのもの、あなたのお金ではない

ガソリンスタンド店員のロナルド・リード氏が築き上げた約8~9億円の遺産の多くは、
自分の生まれ育ったコミュニティに遺贈されたと聞く。
ググルと、地元の図書館に120万ドル、病院に480万ドルと記載されている。

見方によっては、10億円近くの財産を築いても、
使わずに生涯を終えたことに共感を覚えない人がいるかもしれないが、
地元にきちんと恩返しをしている。

億り人になっても、所詮は紙に書かれた金額。
散財したところで、満足はしない。消費、所有の満足って、ただの自己満足。
だから、使い道はまた投資になる。だから、再投資で資産が増えるんだよ。

そもそも、資本収入が得られるのは、労働してくれている人たちのお陰でもある。
株式市場は、唯一自分の判断で投資先の企業を複数選べる機会を与えてくれている。
その投資が上手くいくかどうかは、投資先の企業(経営者と労働者の結果)次第である。

労働で貢献できないなら、投資で社会貢献することだってできるんだけど。
社会の目は冷たい。
労働が美徳とも思わないが、投資も美徳とも思わない。

「貧乏になる自由がある」って表現、正気かと思う。「金持ちは施しをする義務がある」って言えないのかね。
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